こどもの日(本日)特別編 その2

本日はこどもの日ということで

「賛否両論の問題作 こどもの日特別編 様々な意見を出していくだろう その2」を挙げてみたい・・・


「がんばれ石巻市」に現地の子供


人形持ってきました

被災者が見たらどうなるあの人気アニメのシーン


犬夜叉と1000円札は所有書のもの


変わった「あいさつの魔法」

こどもの日(明日)特別編 その1

東日本大震災(東日本人類滅亡予備軍型大震災)で被災された子供たちにお見舞いを申し上げます。そして、尊い命を失ってしまった子供たちにご冥福を申し上げます。
5月5日は子供の日という事で

「賛否両論の問題作 こどもの日特別編 様々な意見を出していくだろう」を挙げてみたい・・・


子供に見せたい話 「けいおん!」でボケをかます平沢唯田井中律


石巻市立大川小学校の当事者の姿

  • まだまだ負けません まだまだ耐えます


  • 2010年の授業風景



  • それでも隠すな 限界まで全部公表しなさい そして亡くなった児童を宝石など様々なモノにしなさい。



震災ショックな映画① 3DCGではなんでも対応できると言ってもいいが、ゲームは2次元アニメに対し、映画は実写。子供にとってはリアクションに困るかも。主人公はバイオハザードを知らない人だった。


震災ショックな映画② 子供だらけだけど子供にとっては申し訳ないくらい恐ろしい映画。 内容は銀魂では「スタンド温泉で閣下化された神楽、志村妙・志村新八姉弟」に対し、この場合は「スタンド学校の影響で苦しい生活をする羽目になった子供たち」。

  • 芸能界でも激震が走る…

銀魂 人類滅亡予備軍篇

本日は第2期銀魂の放送日という事で

東日本大震災の話を銀魂とくっつけてみた・・・


坂田銀時「亡くなった人の顔見ないと成立はしない。マスコミが現地で撮ってテレビやネットで公開したって罪になるわけねーだろ。」


土方十四郎「瓦礫撤去と遺体捜査は真選組共々の仕事だ。総悟や近藤さん、俺らはその2つをしなければならない。発見の時は誰であろうと覚悟が必要だ。」


坂田銀時「仮埋葬したとしても長々と埋まったままだったら、大雨洪水で土壌汚染だよこれ。」
土方十四郎「誰か止めてくれよ。多くの遺族がしたくないとかあれは殺人行為だって怒ってるしさ…。」

4月の終わり〜震災ショックの表現はまだまだ続く〜

福島第一原子力発電所事故における東京電力ロゴマークと下の部分の言葉を利用したイジリネタ


ダウンタウン明石家さんまさん、島田紳助さん、ナインティナインなどの被災者向けメッセージ。ダウンタウン松本人志さんの「AC〜♪」が被災者を抱腹絶倒にさせた。


1995年の番組のスポンサーのブルーバック「この番組は人と人を結ぶ思いやり 公共広告機構の提供でお送りします(しました)」


和製バイオハザードと言われているホラー映画で襲われ役の一般人美女の一言・・・。


被災者・捜査人・検査人の目撃談


上記のホラー映画で襲われ役として出演。一方で、奇抜なメイクを施した大人気バンド「放課後ティータイム」は主題歌のPV現場は東北地方?

あれから50日でも誰もかれもが震災ショックな表現

2012年人類滅亡説の序盤」と言われている東日本大震災。震災ショックは未だに消えそうで消えない状態が続いている人は多いはず。


「こんな震災ショックを受けた人の作品は同情しそうで恐ろしい話」を挙げてみたい。

  • 子供が書きそうで書かない予言? タイトル「震災の次は惑星損壊?」


  • 子供はすぐに富士山大噴火・建物爆発を書きます。大火災を書いた人は?



  • 石ころを書く子供もいる。「亡骸をリサイクルする被災遺族と自治体」



  • 生き返りという願いがかなったけど震災以上に大変な事態へと発展した話。内容は和製バイオハザードと言ってもいいほど刺激的なホラー+バトル映画。ある意味、大人の震災ショックの表れ



次は子供でも分かりやすい設定とプロ意識、リアリティーが高い事を書いた児童の日記。この事は記事に紹介されており、共感したくなる内容です。(毎日新聞より引用)

  • 3月11日
    • 卒業式の歌の練習をしていました。とてもゆれの大きい地震が来ました。最初は単なる地震だと思っていました。大津波警報が出ても、どうせこないと思っていました。来たとしても10センチメートル程度の津波だと思っていました。全然違いました。ぼくが見たのは、国道45号線を水とがれきが流れているところです。お母さんとお父さんが津波が来る前に大沢小に来ているところは見ました。だけどその後、お父さんが軽トラでもどっていった姿を見ました。お父さんのことが不安でした。 車を運転しながら津波にのみ込まれませんように。そう祈っていました。
  • 3月18日
    • 津波から1週間。お母さんは、もうこんなに日がたっているのに、まだお父さんが見えないとあきらめていました。じいやんは泣いて「家も頑張って建てるし、おまえたちだってしっかり学校にいかせられるように頑張るから、お父さんがもしだめだとしても頑張るからな」と言っていました。
  • 3月23日
    • 卒業式でした。「ありがとう」の歌を歌っている時、お父さんに「お父さん、お父さんのおかげで卒業できたよ。ありがとう」と頭の中で言いました。そしたらなぜか、声がふるえて涙が少し出てきました。その夜、こんな夢を見ました。お母さんとお父さんが宮古のスーパーマーケットから帰ってきた夢でした。
  • 3月25日
    • 親せきの人の携帯に電話がかかってきました。内容は、お父さんらしき人が消防署の方で見つかったということでした。急いで行ってみると、口を開けて横たわっていたお父さんの姿でした。ねえちゃんは泣き叫び、お母さんは声も出ず、弟は親せきの人にくっついていました。顔をさわってみると、水より冷たくなっていました。ぼくは「何でもどったんだよ」と何度も何度も頭の中で言いました。「おれがくよくよしてどうすんだ」と自分に言いました。でも、言えば言うほど目がうるんでくるばかりです。お父さんの身に付けていたチタン、東京で買った足のお守りや結婚指輪、携帯。そして驚いたのが時計が動いていたことです。お父さんの息が絶えた時も、津波に飲み込まれている時も、ずっと。お父さんの時計は今はぼくのものになっている。ぼくがその時計をなくしたりすることは一生ないだろう。
  • 3月26〜27日
    • 見つかった時のお父さんの顔。まだ頭のどこかで見なきゃよかったと。でも見つかったおかげで火葬もできるし、お父さんをさわることができた。お父さんの体は水を飲んだのか胸がふくらんでいるだけだ。やっぱり見つかってよかった。
  • 3月28日
    • きょうは火葬の日。ぼくとねえちゃんとお母さんとけいじろうは、手紙を書いて、お父さんと一緒に入れてやりました。拝んでいる時ぼくは「箱石家は頑張って継ぐからまかせて」と言いました。お墓に骨を埋めるまで、ぼくに骨を持たせてくれました。骨をうめてホッとしました。
  • 4月7日
    • きょうは、ありがたいと心から言える日でした。お父さんとぼくたちの記事を見て、お父さんが東京マラソンを走った時の写真とお手紙を新聞の人が持ってきてくれました。ぼくたち家族に贈る言葉や、さらにはぼくに贈る言葉の手紙もありました。やっぱりお父さんはすごい。今日は本当にありがたい日だ。

震災ショックは付き物になってしまったが、国民に伝えるべきリアリティーな表現と独自的な視点がハッキリしないといい作品が出来ないと思います。

あれから49日・・・苦しみから脱出するには「死んでもなれる」という言葉を。

東日本大震災(東日本人類滅亡予備軍型大震災)で1万4千人以上が無くなり、本日は震災犠牲者の四十九日(しじゅうくにち)です。数々の合同慰霊祭が行われている中、「納骨したくてもできない」と苦しんでいる遺族がかなり多いのが現状です。

その苦しみから脱するには新たなルートで対応するのが必須となります。
「命の証という輝き」と「一生のタカラモノという友愛の証」である遺灰ダイヤモンド・メモリアルストーン麗石になる権利を与え供養するしかありません。





「『死んでほしくないから長生きしてほしい』という言葉は誰にでも言える。「死んだ人には宝石になれる権利が与えられる」と言わなければ苦しみは続いてしまい、クリーンな世の中になれないだろう。死んだ人には宝石など何でもなれる。」

この言葉は被災された遺族に向けての我流メッセージです。一言でいえば、苦しい心境を継続させるわけにはいかないと思っており、反応については苦しみから脱出するための最善の選択であり、出来る可能性を否定して欲しくありません。

静岡県にも堤防の増設を

東日本大震災(東日本人類滅亡予備軍型大震災)の影響で

大震災でも犠牲者を出さないことを目的にしているプロジェクト「TOKAI-0」を行っている静岡県側が

浜岡原子力発電所の海沿いに堤防が必須となりました。

しかし、

静岡県にはまだまだ必要な堤防があるので

自らが「こんな堤防はどうだろう」という事を挙げてみたい


国道150号周辺の海岸付近に15メートル以上の堤防は必須だろう。(水色部分は必須となる堤防部分)


更には浜名湖周辺は勿論、富士川及び旧国道1号(県道389号)の海沿いにも必須部分があります。